私は、小さな建設関係の会社で事務をしている。 高校を卒業してすぐに、この会社に就職した。 学歴もない私には、中小企業の事務とはいえ、仕事があるだけありがたい世の中だ。 事務員の人数が少ないから、雑用だってなんでもやる。 「小川さん、これ3部ずつコピーして。そのあと、お昼の休憩行ってもらっていいから。」 総務部長が私にそう言った。 「はい・・・。」 もう、お昼なのか。 この頃、時間が過ぎるのを早く感じるようになっていた。 それだけ仕事に慣れたということなのか、歳をとったということなのか。 高校を卒業して、この会社に入って・・・・。 気が付けば、私は22歳になっていた。
私がコピーをとっている傍に、同僚の真奈美がやってきた。 「悠子、これ済んだらお昼でしょ?待ってるから、一緒に食べに行こうね。」 「うん。もう終わるから。」 真奈美は、私より3つ年上の25歳だ。 年上とはいえ、事務員の少ないこの会社の中で、20代の女性は真奈美と私だけ。 入社したころは、私よりも先輩で大人に見えた真奈美に、敬語を使い、彼女を苗字で「中村さん」と呼んでいたが、いつの頃からか「真奈美」と名前で呼ぶようになっていた。 この会社で唯一、気軽に話したり、飲みに行ったりできる相手だ。 「これ、部長に渡してくるわ。荷物も取ってくるから、外で待ってて。」 「わかった。」 私は、足早にデスクに戻り、部長にコピーした書類を手渡し、自分のバッグを掴んで、事務所を後にした。
外に出ると、じめっとした空気が身体を包んだ。 「やだね。雨降りそう。」 真奈美が空を見上げて言った。 雨・・・。 そういえば、朝のテレビで午後から雨だと言っていた。 私は、ベッドの中で聞いた、天気予報を思い出していた。 「午後から雨になるらしいよ。」 「うそぉ。私、傘持って来てないのに。」 「私も忘れてきちゃった。」 「悠子、雨降るって知ってたんじゃないの?」 真奈美が、眉をひそめながら言う。 「天気予報、見てたんだけどね・・。」 毎朝、天気予報を見ているけれど、今朝は昨夜の酒も手伝って、ぼんやりしていた。
真奈美と並んで、よく来るとんかつ屋に入る。 「ロースカツ定食二つね。」 真奈美は、店のおばさんにそう言ったあと、私の顔を覗きこんだ。 「・・・なによ?」 「きのう、彼と会ったんでしょ?」 真奈美がにやりと笑う。 「会ったけどさぁ」 「プロポーズは?された?」 私は、黙って首を横に振った。 「そっかぁ・・・。それにしても、この前の指輪はなんなんだろね?私は絶対、プロポーズだと思ったんだけどな。」
私は、5つ年上・・27歳の彼と付き合っている。 うちの会社の取引先の営業マンだ。 この前のデートで、いきなり、ダイヤの指輪をもらった。 小さな石とはいえ、彼にとってはけっこう思いきった買い物だったと思う。 誕生日でも、クリスマスでも、何の記念日でもないのに。 今も、私の左手の薬指には、その指輪が光っている。
「で、高原くんとは、指輪の話はしたの?」
高原というのが、私の彼だ。 高原健介という。 「指輪の話どころか、全然普通の、いつも通りのデートだったわよ。」 私は、ぶっきらぼうに答えた。 「私だって、プロポーズかな?って思ったけどさ、あんまりにも健介がいつも通りだったから、なんとなく聞きそびれちゃって。」 「ま、悠子はまだ22だもんね。結婚するには、ちょっと早い気もするんだけど・・・」 真奈美がそこまで言ったところで、ロースカツ定食が運ばれてきた。
「真奈美は?最近合コンとか行ってないの?」 真奈美は、黙々とロースカツを口に運んでいる。 「・・・ちょっとぉ・・・。もしかして、彼氏できた?」 「悠子も早く食べないと、昼休み終わっちゃうよ。」 私は、しぶしぶ割り箸を割って、定食を食べはじめた。 「真奈美ってば、ずるいわよ。」 「何がぁ?」 「私と健介のことばっかり聞くけどさぁ、最近真奈美の恋バナ聞いてない気がする。」 「・・・・・。」 真奈美は、相変わらず黙って食べ続けている。
「ねぇ・・真奈美ぃ・・。」 「・・私ねぇ、好きな男ができたのよ。」
真奈美は、顔を上げずに言った。 「え?ほんとに!?付き合ってるの?」 「ううん。まだ・・知り合いって程度かな?」 真奈美が、箸を止めて首を傾げた。 真奈美の顔が、心なしかほころんでいる。
・・・恋をしてる女の顔だな・・・。
私は、なんとなくそう感じた。 健介と知り合った頃の私も、こんな顔で真奈美と話していたんだろう。 そんな表情をできる真奈美が、少し羨ましかった。 今の私は、こんな風に笑っているんだろうか。
窓の外から、降り始めた雨の音が聞こえた。 「やだ。雨だよ。早く食べて、会社に戻ろう。」
真奈美は、そう言ってまた箸を動かし始めたが、なんとなく、外の雨の音やら、昨日の酒が残る身体やら、真奈美の淡い表情やらが気になって、私は定食を半分以上残したままだった。
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