■純恋愛
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第一章 Innocent-3
午後からは、仕事が手につかなかった。
同僚として仲良くはしていたけれど、正直、真奈美のことをそんなに気にかけたことはなかった。
何人かいる友達のうちの一人・・・程度の気持ちしかなかったのだ。
合コンの話、恋の話・・・いつも何気なく聞いていたはずなのに、真奈美の、あの一瞬の表情が頭から離れない。
恋をしている女の微笑み。

マジメなお嬢様風で、かわいい顔をしているけれど、そんなに華やかではなく、どちらかというと地味な印象。
真奈美のことは、そんな風に思っていた。
「早く結婚したいよ」、「誰かいい人いないかな」と、口癖のように毎日繰り返していた。
健介という、ルックスもそこそこ良くて、他人からの受けも良い恋人がいる私は、ここ数年恋人がいない真奈美に対して、少なからず優越感を持っていた気がする。
なのに、そんな些細な優越感を崩してしまうには、あの一瞬で充分だった。

ふと、薬指の指輪に目をやる。
・・・別に私は、今結婚したいわけじゃない。
まだ22だし、結婚なんて、まだまだ先のことだと思っていた。
だけど、健介は27歳。
結婚を考えても、おかしくない年齢。
とはいえ、この指輪がプロポーズを意味しているのかどうかすら、今はわからない。

どうして、健介は何も言わないんだろう。

いつだって、そうだった。
肝心なことはうやむやにして、何となく煙に巻こうとする。
核心を、いつもそらしてしまう。
そのくせ、ちゃっかりと自分のやりたいように物事を進めてしまう。
付き合い始めた頃は、「優しい男」だと思っていた。
もちろん今だって、優しいことには変わりはない。
だけど、その優しさの裏には、いつも、優柔不断な弱さとずるさがちらついて見える。
嫌な苛立ちが、身体の底から湧いてくる。

何のつもりなの?この指輪は。

健介にはっきりと、そう聞けなかった自分にも苛立っている。
あまりにもいつも通りに振舞う健介を見てると、なんだか切り出せなかった。
「結婚」をせかす女に、自分がなってしまう気がして嫌だった。
そう。
いつも優越感を感じながら、見ていた相手・・・真奈美のように、「結婚」にこだわり、焦る女だと思われたくなかった。
私は、心の奥に閉じ込めていた、自分の汚い部分に触れてしまったような気がして、両手を強く握り締めた。
私はいつも、真奈美のようにはなりたくないと、心のどこかで思っていたのだ。

「小川さん、お茶いれてよ。」
営業さんの声に振り向くと、そこには、営業さんと並んで健介が立っていた。
「あ、おつかれさまです・・・。」
不意を突かれた驚きを隠しつつ、私は健介に会釈をした。
そして、逃げるように給湯室へ向かった。

びっくりした・・・。

取引先の営業担当である彼が、この事務所に来るのはめずらしいことじゃない。
実際、週のうち何度かは、ここを訪ねてくる。
だけど、妙なタイミングで現れた彼に、少し罪悪感を感じた。
見せたくないものを、不意に覗かれたような気がして、胸が痛くなった。

お茶を入れ、給湯室を出ようとすると、目の前に健介が立っていた。
「よお。」
「おつかれさま。雨なのに、大変ね。」
「おう。急に降ってくるから、コンビニで傘買っちゃったよ。」
健介が、私と並んで歩き始める。
「悠子さぁ、ゆうべかなり飲んでたけど、ちゃんと朝起きたのか?」
「私は、ちゃんと起きるわよ。健介の方こそ、寝坊したんじゃないの?」
「あー・・・。ちょっとだけな。」
健介が、にやっと笑う。
その笑顔に、私の心も少し洗われたような気がした。
「ほんと、ゆうべはおまえもよく飲んだよなぁ。」
指輪の意味を聞こうと思っていたけど、なかなか切り出せなくて、どんどんグラスをあおってしまったんだ・・・。

誰のせいだと思ってるのよ・・・。

私は、心の中で小さくつぶやいた。
私だって、真奈美のように微笑んで、健介のことを想っていた頃もあったはずなのに・・・。
私はテーブルにお茶を置きながら、屈託なく仕事の話をしている健介に視線を向けた。

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