会社を出ると、午後からの雨がまだ降り続いていた。 傘がないから、近くのコンビニで買って帰ろう・・・と、思っていたときだった。 「傘ないから、困ったね。」 会社の玄関で立ち止まっていた私に、真奈美が後ろから声をかけてきた。 「あ、そっか。真奈美も傘持ってないんだもんね。」 「悠子、今日予定ある?」 「え?特にないけど。」 「今日金曜で明日休みだしさ、ちょっと飲んで帰らない?」 真奈美は、駅の方角を指さして言った。 駅前の居酒屋に行くつもりなんだろう。 「そうね。飲んでる間に雨も止むかもしれない。」 そう言いながら、私は考えていた。
真奈美がどんな男に恋をしたのか、聞いてみたい。 真奈美にあんな表情をさせるのは、どんな男なのか。
考えているうちに、真奈美がタクシーを止めた。 「ちょっと贅沢だけど、駅前までこれで行こう。」 私は、軽くうなずき、真奈美に続いてタクシーに身体をすべりこませた。
いつもは、10分ちょっと歩く駅前までの道のりも、タクシーに乗れば5分もかからない。 タクシーを降り、真奈美と並んで店に入る。 「いらっしゃいまっせーーーー!!」 威勢のいい声が、耳に飛びこんでくる。 若い店員が、私たちを席まで案内してくれた。 金曜の夜ということもあって、店内の座席はほとんど埋まっている。
適当に注文をして、すぐに運ばれてきた生ビールのジョッキをつかみ、真奈美と軽く乾杯した。 「ふー。おいしい。」 真奈美がにっこり笑う。 「ほーんと。仕事が終わった後のビールって、なんでこんなにおいしいんだろ。」 「そうね・・・。」 真奈美はうなずきながら、バッグから携帯電話を取り出し、テーブルの端に置いた。 私もつられるように、携帯電話をテーブルに置く。
「・・・真奈美、彼から電話かかってきたりするの?」 「ううん。」 真奈美は、首を横に振り、携帯電話にちらっと目をやった。 「彼とは、まだ2回会っただけだし、ほんとただの知り合いって感じなのよね。でも、声が聞きたくなっちゃって、なんだかんだと都合をつけて、私からかけちゃうけど。」
電話で話すのに、理由がいる間柄。
そんな恋をしたのは、いつのことだっただろう。 健介と付き合いはじめたのは、健介からのアプローチがきっかけだった。 それまで、いい人だとは思っていたけれど、恋愛対象として見ていたわけじゃない。 その前の彼だって、相手の方から接近してきた。 ・・・考えてみると、私はいつも、自分に気のある男ばかりを好きになってきた。 自分に興味のある相手以外は、恋愛対象として見てこなかったのだ。
中学に入ったばかりの頃の、初恋を思い出す。
あれっきりだ・・・。
自分を素通りしてしまう視線をたどり、彼の背中をじっと見つめ、夢中になって追いかけた。 告白もしたが、あっさりと断られ、その後もずーっと密かに思い続けていた。 手の届かない誰かを想うなんて、あれからずっとない。
「悠子は、高原くんから電話かかってくるんじゃない?」 真奈美の声で、ふと我にかえる。 「あ?ああ・・そうね・・。」 「私なんてさ、電話かけてくんの、きっと親ぐらいよ。今どこにいるの?ごはん家で食べるの?って。」 真奈美は、実家に暮らしている。 私も、就職してからしばらくは実家で暮らしていたが、社会人2年目からは、一人暮しをしている。 うるさい弟や両親のいる家から、早く自由になりたかった。 真奈美は一人っ子だから、実家でもそれなりに快適なのかもしれない。 運ばれてきた料理を食べながら、真奈美に聞いてみる。 「真奈美の好きな人って、どんな彼なの?」 「そうねぇ・・・。」 真奈美の顔がほころぶ。 「ちょっと年上なんだけどね。すっごくモテるみたい。だから、私なんて、きっと相手にされてないと思う。」 寂しいことを言っているのに、真奈美の瞳は潤み、頬が少し染まっている。 酒のせいなのか、それとも、その男への想いが、真奈美をそんな顔にさせたのか。 「でも、優しいのよね。とっても。」 「それって、遊んでる男じゃないの?だから、女の扱いに慣れてるのよ。」 「そうかもしれない・・・。」 「そういう人ってさ、女がどうすれば気分良くなるか、知ってるのよ。そういうタイプと付き合うと、大変だよ。」 「まだ、付き合ってるわけじゃないよ。」 「でも、そのうちきっと接近してくるわよ。そうなって、もし、カラダでも許そうもんなら・・・。」 「悠子ったら、気が早いわよー。」 「だって、遊ばれちゃったらどうするのよ?そんな人・・。」 そこまで言って、私はビールを飲んだ。
「やめちゃいなよ。」と、言いかけた言葉も一緒に飲みこむ。
真奈美の顔に書いてある。
「それでも、好きだ」「遊ばれてもしょうがない」
真奈美は、完全に恋に落ちている。 私は、もう一口ビールを流し込んだ。 そして、なぜか苛立っている自分に気が付いた。
「まあ、まだ2回しか会ってないんだもんね。」 私は、自分を落ち着けるように、そう言った。 「そうそう。このままフェイドアウトしちゃうかもしれないじゃない?」 真奈美は笑っている。 私は、どうしてこんなに苛立っているのだろう。 ただ単に、仲の良い女友達に好きな男ができた・・・それだけのこと。 なのに、どうして。
そのとき、テーブルに振動音が響いた。 私の電話だ。 電話を手にとり、ディスプレイに目をやると、健介の名前が表示されていた。 「高原くんじゃない?」 真奈美がにやっと笑う。 「ちょっと、話してくるね。」 私は、そう言い残して店の外に出た。
「もしもし?」 「あ、悠子?」 健介の声だ。 「俺さ、今仕事終わって家に帰ってきたんだけど、おまえ、今夜家にいる?」 「あ、今ねぇ、真奈美と飲んでるの。駅前の居酒屋で。」 まだ、雨は降り続いている。 私は、濡れないように、店の軒先で身体を縮みこませている。 「なーんだ。今日金曜だしさ、そっちに泊まりに行こうと思ってたのに。ま、明日にするか。」 毎週、週末にはどちらかの部屋でゆっくりと過ごすのが、習慣になっていた。 「雨だったからさ、雨が止むまで飲んでようかって話になったのよ。」 「でも、この雨なかなか止みそうにないぜ?」 「ほーんと。」 健介の声を聞くうち、私の心の中でもやもやしていた苛立ちが、すーっと消えていくような気がしていた。 「俺も酒飲みてえなぁ。」 「・・・・・来ればいいじゃない。」 自然にその言葉が出てきた。 「健介も一緒に飲もうよ。」 「え?でも、中村さんも一緒なんだろ?」 「いいじゃない。3人で飲んだことだって、何度もあるんだしさ。」 私には、健介がいる。 なぜか、その事実を真奈美に見せたいと思った。 「その代わり、健介は車で来て。私と真奈美を家まで送ってよ。」 「えー?車だったら、俺、全然飲めねーよ。それに、駐車場はどうすんだよ?」 「車のときだって、少しくらいならいつも飲んでるじゃない。それに、車は、向かいのカラオケ屋の駐車場に止めればいいでしょ?」 「えー?でも・・・。」 私は、どうしても健介に来て欲しかった。 真奈美の前で、私と並び、私と笑い合って欲しかった。 「私と一緒に帰って、うちで飲みなおせばいいじゃない。」 「・・・そうだなぁ・・・。」 私の部屋に泊まれるとあって、健介はその気になってきたようだ。 「じゃ、真奈美と店で待ってるからさ。」 「ん。わかった。20分くらいで行けると思うから。」 「じゃ、待ってるね。」
健介との電話を切り、私は店に戻った。 真奈美は、一人でメニューを見ていた。 「なんかさぁ、健介も来るみたい。」 私は、席につきながら言う。 「ほんと?高原くんと飲むの久しぶりだわぁ。」 真奈美が屈託なく笑う。 「車で来させるからさぁ、帰り、送ってもらおうね。まだ外、雨降ってたし。」 「さすが、悠子ね。あ、そうそう。指輪のことも聞かなきゃね。悠子が聞きにくいなら、私がそれとなく話ふってあげるよ。」
真奈美の言葉に、はっとした。
忘れてた・・・指輪のこと。
薬指の指輪に、視線を落とす。 指輪の話は、いつだっていいような気がしていた。 今はただ、健介が来てくれるのが待ち遠しくて仕方なかった。
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