■純恋愛
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第一章 Innocent-4
会社を出ると、午後からの雨がまだ降り続いていた。
傘がないから、近くのコンビニで買って帰ろう・・・と、思っていたときだった。
「傘ないから、困ったね。」
会社の玄関で立ち止まっていた私に、真奈美が後ろから声をかけてきた。
「あ、そっか。真奈美も傘持ってないんだもんね。」
「悠子、今日予定ある?」
「え?特にないけど。」
「今日金曜で明日休みだしさ、ちょっと飲んで帰らない?」
真奈美は、駅の方角を指さして言った。
駅前の居酒屋に行くつもりなんだろう。
「そうね。飲んでる間に雨も止むかもしれない。」
そう言いながら、私は考えていた。

真奈美がどんな男に恋をしたのか、聞いてみたい。
真奈美にあんな表情をさせるのは、どんな男なのか。

考えているうちに、真奈美がタクシーを止めた。
「ちょっと贅沢だけど、駅前までこれで行こう。」
私は、軽くうなずき、真奈美に続いてタクシーに身体をすべりこませた。

いつもは、10分ちょっと歩く駅前までの道のりも、タクシーに乗れば5分もかからない。
タクシーを降り、真奈美と並んで店に入る。
「いらっしゃいまっせーーーー!!」
威勢のいい声が、耳に飛びこんでくる。
若い店員が、私たちを席まで案内してくれた。
金曜の夜ということもあって、店内の座席はほとんど埋まっている。

適当に注文をして、すぐに運ばれてきた生ビールのジョッキをつかみ、真奈美と軽く乾杯した。
「ふー。おいしい。」
真奈美がにっこり笑う。
「ほーんと。仕事が終わった後のビールって、なんでこんなにおいしいんだろ。」
「そうね・・・。」
真奈美はうなずきながら、バッグから携帯電話を取り出し、テーブルの端に置いた。
私もつられるように、携帯電話をテーブルに置く。

「・・・真奈美、彼から電話かかってきたりするの?」
「ううん。」
真奈美は、首を横に振り、携帯電話にちらっと目をやった。
「彼とは、まだ2回会っただけだし、ほんとただの知り合いって感じなのよね。でも、声が聞きたくなっちゃって、なんだかんだと都合をつけて、私からかけちゃうけど。」

電話で話すのに、理由がいる間柄。

そんな恋をしたのは、いつのことだっただろう。
健介と付き合いはじめたのは、健介からのアプローチがきっかけだった。
それまで、いい人だとは思っていたけれど、恋愛対象として見ていたわけじゃない。
その前の彼だって、相手の方から接近してきた。
・・・考えてみると、私はいつも、自分に気のある男ばかりを好きになってきた。
自分に興味のある相手以外は、恋愛対象として見てこなかったのだ。

中学に入ったばかりの頃の、初恋を思い出す。

あれっきりだ・・・。

自分を素通りしてしまう視線をたどり、彼の背中をじっと見つめ、夢中になって追いかけた。
告白もしたが、あっさりと断られ、その後もずーっと密かに思い続けていた。
手の届かない誰かを想うなんて、あれからずっとない。

「悠子は、高原くんから電話かかってくるんじゃない?」
真奈美の声で、ふと我にかえる。
「あ?ああ・・そうね・・。」
「私なんてさ、電話かけてくんの、きっと親ぐらいよ。今どこにいるの?ごはん家で食べるの?って。」
真奈美は、実家に暮らしている。
私も、就職してからしばらくは実家で暮らしていたが、社会人2年目からは、一人暮しをしている。
うるさい弟や両親のいる家から、早く自由になりたかった。
真奈美は一人っ子だから、実家でもそれなりに快適なのかもしれない。
運ばれてきた料理を食べながら、真奈美に聞いてみる。
「真奈美の好きな人って、どんな彼なの?」
「そうねぇ・・・。」
真奈美の顔がほころぶ。
「ちょっと年上なんだけどね。すっごくモテるみたい。だから、私なんて、きっと相手にされてないと思う。」
寂しいことを言っているのに、真奈美の瞳は潤み、頬が少し染まっている。
酒のせいなのか、それとも、その男への想いが、真奈美をそんな顔にさせたのか。
「でも、優しいのよね。とっても。」
「それって、遊んでる男じゃないの?だから、女の扱いに慣れてるのよ。」
「そうかもしれない・・・。」
「そういう人ってさ、女がどうすれば気分良くなるか、知ってるのよ。そういうタイプと付き合うと、大変だよ。」
「まだ、付き合ってるわけじゃないよ。」
「でも、そのうちきっと接近してくるわよ。そうなって、もし、カラダでも許そうもんなら・・・。」
「悠子ったら、気が早いわよー。」
「だって、遊ばれちゃったらどうするのよ?そんな人・・。」
そこまで言って、私はビールを飲んだ。

「やめちゃいなよ。」と、言いかけた言葉も一緒に飲みこむ。

真奈美の顔に書いてある。

「それでも、好きだ」「遊ばれてもしょうがない」

真奈美は、完全に恋に落ちている。
私は、もう一口ビールを流し込んだ。
そして、なぜか苛立っている自分に気が付いた。

「まあ、まだ2回しか会ってないんだもんね。」
私は、自分を落ち着けるように、そう言った。
「そうそう。このままフェイドアウトしちゃうかもしれないじゃない?」
真奈美は笑っている。
私は、どうしてこんなに苛立っているのだろう。
ただ単に、仲の良い女友達に好きな男ができた・・・それだけのこと。
なのに、どうして。

そのとき、テーブルに振動音が響いた。
私の電話だ。
電話を手にとり、ディスプレイに目をやると、健介の名前が表示されていた。
「高原くんじゃない?」
真奈美がにやっと笑う。
「ちょっと、話してくるね。」
私は、そう言い残して店の外に出た。

「もしもし?」
「あ、悠子?」
健介の声だ。
「俺さ、今仕事終わって家に帰ってきたんだけど、おまえ、今夜家にいる?」
「あ、今ねぇ、真奈美と飲んでるの。駅前の居酒屋で。」
まだ、雨は降り続いている。
私は、濡れないように、店の軒先で身体を縮みこませている。
「なーんだ。今日金曜だしさ、そっちに泊まりに行こうと思ってたのに。ま、明日にするか。」
毎週、週末にはどちらかの部屋でゆっくりと過ごすのが、習慣になっていた。
「雨だったからさ、雨が止むまで飲んでようかって話になったのよ。」
「でも、この雨なかなか止みそうにないぜ?」
「ほーんと。」
健介の声を聞くうち、私の心の中でもやもやしていた苛立ちが、すーっと消えていくような気がしていた。
「俺も酒飲みてえなぁ。」
「・・・・・来ればいいじゃない。」
自然にその言葉が出てきた。
「健介も一緒に飲もうよ。」
「え?でも、中村さんも一緒なんだろ?」
「いいじゃない。3人で飲んだことだって、何度もあるんだしさ。」
私には、健介がいる。
なぜか、その事実を真奈美に見せたいと思った。
「その代わり、健介は車で来て。私と真奈美を家まで送ってよ。」
「えー?車だったら、俺、全然飲めねーよ。それに、駐車場はどうすんだよ?」
「車のときだって、少しくらいならいつも飲んでるじゃない。それに、車は、向かいのカラオケ屋の駐車場に止めればいいでしょ?」
「えー?でも・・・。」
私は、どうしても健介に来て欲しかった。
真奈美の前で、私と並び、私と笑い合って欲しかった。
「私と一緒に帰って、うちで飲みなおせばいいじゃない。」
「・・・そうだなぁ・・・。」
私の部屋に泊まれるとあって、健介はその気になってきたようだ。
「じゃ、真奈美と店で待ってるからさ。」
「ん。わかった。20分くらいで行けると思うから。」
「じゃ、待ってるね。」

健介との電話を切り、私は店に戻った。
真奈美は、一人でメニューを見ていた。
「なんかさぁ、健介も来るみたい。」
私は、席につきながら言う。
「ほんと?高原くんと飲むの久しぶりだわぁ。」
真奈美が屈託なく笑う。
「車で来させるからさぁ、帰り、送ってもらおうね。まだ外、雨降ってたし。」
「さすが、悠子ね。あ、そうそう。指輪のことも聞かなきゃね。悠子が聞きにくいなら、私がそれとなく話ふってあげるよ。」

真奈美の言葉に、はっとした。

忘れてた・・・指輪のこと。

薬指の指輪に、視線を落とす。
指輪の話は、いつだっていいような気がしていた。
今はただ、健介が来てくれるのが待ち遠しくて仕方なかった。

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