「おい、着いたぞ。」 健介の声で目を覚ますと、車はマンションの駐車場に止まっていた。 「あ、うち着いたんだ・・・。」 「お前、よく寝てたなぁ。」 健介が笑う。 「真奈美は?」 「ちゃんと送ったよ。悠子にありがとうって言っといてって。」 「あ、そ。」
真奈美のことは、もう考えたくなかった。 土日は仕事もないし、真奈美と顔を合わせることもない。 この妙な苛立ちから、早く抜け出したかった。 健介と並んで、エレベーターに乗りこむ。 ドアが閉まったとたん、健介が後ろから私の身体を抱き締めた。
「なぁにぃ?甘えてんのぉ?」 「今日の悠子、変だった・・・。」 健介が、小さな声で言った。 「そうかなぁ?」 「うん。変。俺らの話だって、うわの空だったみたいだし。」 エレベーターが止まり、ドアが開いた。 健介の身体が離れ、部屋に向かって歩き始める。
確かに、今日の私は変だ。 その理由もわかっているけど、はっきりしない。 真奈美に好きな男ができて、イライラしている。 この事実だけは、確かだ。
当たり前の話だけど、別に私は真奈美のことが特別好きなわけでもない。 普通の友達だと思っている。 小中学生にありがちな、大好きな友達を誰かに取られて悔しいとか、そんな気持ちとも違う。 ・・・だけど、ある種の嫉妬のような感情を、真奈美に対して抱いている。
部屋の鍵を開け、私たちは中に入った。 「ビールかなんか飲む?」 「んー。その前に、シャワー浴びていいか?」 「どうぞ。」 健介は、シャワールームへ向かう。 タンスから、バスタオルと下着を取り出して、健介に手渡す。 「サンキュ。」
しばらくすると、シャワーの水音が部屋に響きだした。
私はテーブルに置かれたリモコンを手に取り、テレビをつけた。
これから私たちにどんな時間が訪れて、どんな朝を迎えるのか・・・私には想像がついていた。 毎週末繰り返し、慣れ親しんだ時間だ。 だけど、今日の私はいつもと違っていた。
いつもは楽しくて仕方ないこの時間も、頭の中は真奈美のことで一杯になっている。 考えたくないと願っても、それを打ち破るように、あの表情が脳裏に浮かんでくる。
冷蔵庫から缶ビールを取りだし、喉に流し込む。 それを半分ほど飲んだ頃、下着姿の健介が目の前に現れた。 「お前も行ってこいよ。」 「うん・・・。」 出してあったバスタオルとバスローブを掴み、シャワールームへ向かう。
蛇口をひねると、勢いづいたシャワーのしぶきが私の身体を包み込んだ。
バスローブ姿の私が部屋に戻ると、健介が私の手を引いた。 「ちょっと待ってよ・・・。」 「また、あれ?」 「大事なことなのよ。」 「ちぇ。」 健介は、しぶしぶ手を離す。
私はテーブルの上に鏡を置き、化粧水や美容液を塗り始めた。 「女って、めんどくせーな。」 「めんどくさいけど、結構楽しいのよ。化粧品選んだり、お手入れしたりするの。」 私は、クリームを顔に伸ばしながら言った。
そして、ボディ用の乳液を健介に渡す。 「はい、健介の好きなやつ。」 「まかしといて!」 健介は、満面の笑みでそれを受け取った。
私は、バスローブを脱いでベッドに横たわる。
健介は、私の身体にこうしてボディーローションを塗るのが好きなのだ。 健介の手が、背中をすべっている。 気持ちよくて、眠りそうになってしまう。 「ちょっと、マジメにやってよね。」 健介の手が、あちこちいたずらを始めていた。 私に怒られて、嬉しそうに笑う健介。
こんないつも通りの時間が、今日一日のもやもやを、少しずつ私から取り去っていくように思えた。 全身に塗り終えて、健介は部屋の電気を消した。
健介の口唇が、私の口唇に重なる。 慣れた感触、身体に感じる重み・・・。
私はそっと目を閉じ、両腕を伸ばして健介を抱き締めた。
身体を重ね合ったあとの暗闇の中、私たちは裸のままでベッドの上にいた。 「今、何時かなぁ?」
私が聞くと、健介が起き上がってテーブルに置いた携帯電話を開いた。 「1時半だよ。」 ライターで火をつける音がした。 健介の煙草の匂いがする。 私は仰向けになって、天井をじっと見つめていた。
「健介・・・。」 「ん?」 「真奈美ね・・・・、好きな男ができたんだって。」 私の声は、自分でも驚くほど乾いた感じがした。 「ふーん。あの人、彼氏いなかったっけ?」 「うん。私が入社したころ、前の彼と別れたみたいよ。」 「結構、長い間フリーだったんだね。」 健介が立ち上がって、冷蔵庫へ向かう。 「今もフリーよ。まだ片思いらしいから。」 「そうなんだ。」 健介は、ビールを持ってまたベッドに座る。
「あんなに結婚したいってうるさかったくせに、好きになった男は、遊び人らしくって。」 「よっぽどイイ男なんだろうな。」 「バカみたいよね。遊び人相手じゃ、結婚なんて絶対できないよ。」 私も、起き上がって健介の隣に座る。
「そりゃわからないぜ?その男が中村さんに惚れて、俺と悠子みたいになるかもしれないしさ。」 「そうかな?・・・・あんまり結婚結婚ってうるさく言うのを遊び人の男が聞いたら、逃げ出したくなるんじゃないの?」 「まぁな・・・。相手に結婚する気がなけりゃ、引くかもしれないな。」 「引くわよ。真奈美は、結婚願望が強いんだから。」 健介の手からビールを奪い、一口飲んだ。
せっかく真奈美のことを忘れかけていたのに、健介と身体が離れたとたん、また思い出していた。 暗闇の中で健介の煙草の火が、私の薬指の指輪をかすかに照らしている。 「私たち、結婚するのかな?」 私は、ふと呟いていた。 「俺は、そのつもりだけど?」 「健介・・・。」
私は隣の健介に抱きつき、口唇を奪った。 甘く、激しいキス。 そのまま、健介を押し倒す。
私はただ、頭の中の真奈美を消してしまいたかった。 今は、健介のことだけを考えていたいだけだ。
何度抱き合っても、どこまでも夜は長く続く気がして、ただがむしゃらに健介を求め続けていた。
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