■純恋愛
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第一章 Innocent-8
健介は私の部屋に2泊して、日曜の午後に帰っていった。
土曜日は一日、この部屋で他愛ないことを話したり、近所のスーパーに買い物へ行ったりと、健介との時間をのんびりと過ごしていた。
いつもと大差ない週末だったけれど、今の私にとっては、健介の存在が心底ありがたかった。

健介を見送り、一人になったこの部屋で、私はコーヒーを飲んでいた。
テーブルの上の灰皿は、健介の残した煙草の吸い殻でいっぱいになっている。
ベッドに横たわり、今までのことをぼんやりと思い返してみる。

誰かイイ人・・・結婚したい・・・。
真奈美がいつも口にした言葉。
まだ22の私にとって、結婚なんて遥か遠い未来のことに思えたけれど、健介からのプロポーズまがいの言葉・・・。

高校を卒業して、親の進学の勧めを断り、すぐに就職して貯金をはじめ、一人暮しの夢を叶えた。
高校時代から続いていた彼氏と別れ、健介と付き合い始めた。
この先には、何があるんだろう・・・。
私には、何の技術もない。
学歴もない。
このまま今の会社で、今と変わらぬ仕事を続けていくしかないのか・・・。
そして、いずれ結婚して主婦になる。
母のように、家族のために家事をこなし、子供の成長だけを楽しみに生きていく。

「つまらない・・・くだらない・・・。」

私は、ぼんやりとつぶやいていた。

だけど、なんの取り柄もない私が、この先選択できる未来なんて限られている。
今の仕事だって、いつまでもぼんやり続けていたって、これ以上何も望めない気がする。
女一人がなんとか生活していけるだけの給料を貰えるけれど、あんな仕事、誰にだってできる事務だ。

就職して3年、私が残したものは、この部屋と健介との関係・・・そして・・・。
クローゼットに収められている洋服、いくつかのブランド物のバッグ。

・・・部屋の片隅に置かれた、カラーボックスに目を向けた。
100円ショップで買った、プラスティックのカゴがある。
あのカゴに入った、たくさんの化粧品・・・。

いろんな物が欲しくて、残業もがんばったし、生活費も切り詰めた。
それでも、私が形にできるものなんて、こんなに限られている。
きっと、これからもそうだろう。
そんな自分に、これからどんな未来が待ち受けるというのか。
目に見えてしまうような気がする。
・・・・こんなとき女は、資格を取りたがったり、結婚をしたがったりするのか・・・。

まだ22歳。

自分のことをそんな風に思っていた。
だけど、このまま25歳、30歳になろうが、自分にできることなんて大差ないんだろう。
多少、電卓を叩くのが早くなって、電話の応対がうまくなって・・・。

・・・くだらない・・・。
会社の、やたらと電卓を叩くのが早い40代の事務員を思い出していた。

結婚・・・。
今まで、何の肩書きも取り柄もなかった私に、妻・母という世間に通用する肩書きが付くんだ。

ふと、真奈美のことを思う。

あぁ・・・そうか・・・。
今までの真奈美、あれは、数年後の私だ。

真奈美は、短大を出てから今の会社に勤めている。
私と似た仕事を、1年長くやっている。
何も変わらない毎日の中、年々、年齢だけを重ねていく。
限られた行動範囲で右往左往したって、生活も知り合う人間もたかが知れている。
何のドラマもない生活から抜け出すには、結婚・・もしくは転職。
私や真奈美が転職するといっても、またほかの中小企業の事務くらいだろう。
だから、結婚なんだ。

だけど、その真奈美には好きな男ができた。
金曜、久々にゆっくり話した真奈美は、とてもよく笑った。
見たことのない、いろんな表情を見せた。
彼女は、今までの日常から抜け出す何かを、彼に恋をすることで手に入れたのかもしれない。

それに引き換え、何の変わりもなく毎日を過ごす私。
そして、これからも目に見えた毎日を過ごしていくだろう私。
私も、「真奈美にとっての彼」のような存在が欲しかったのかもしれない。
だから、嫉妬したんだ。
新しいオモチャを買い与えられた友達を、羨む子供。
なんだか悔しくて、意地悪したくなる。

私は、そのままうつ伏せになり、枕に顔を押し付けた。
健介の煙草の匂いに包まれる。

誰もが、こんな日常を生きているはずだ。
そして、ふとしたきっかけで思わぬときめきを見つけたり、幸せを見付けたりする。

今の私もそうだ。
こうして、健介の匂いに包まれているときは、なんとなく幸せを感じる。
だけど、こんな幸せも、健介と会えた瞬間に感じるときめきも、すべて、私にとっては慣れ親しんだものになっている。

起きあがり、テーブルの灰皿に手を伸ばした。
その中で一番長い吸い殻を手に取り、咥えて火を付けてみた。
久し振りに煙草を口にした。
就職して間もない頃は、よく吸っていたけれど、なんとなくやめていた。
深く吸い込み、煙を吐き出す。
懐かしい味がする。

普段は煙草を吸わない私の、日常に対するわずかな抵抗のつもりだった。
いつもと変わらぬ部屋に、白い煙がひとすじ。
それはやがて、ふんわりと広がり、静かに消えていく。
今の毎日の中で、私が起こせる反乱なんて、この程度のものなのか・・・。
今までの生活、手に入れたもの、安定、ささやかな幸せ・・・それを手放してまで欲しいものなんて、私にはないのかもしれない。
薬指の指輪に、視線を移す。

・・・結婚するのか、私。

「いずれは・・・ね・・・。」

健介が言ったのと同じセリフを、小さな声でつぶやいてみた。
「いずれは」っていつのことだろう。
それが今だろうが、何年先だろうが、いつ結婚しようと今の私には同じような気がした。

真奈美の屈託ない笑顔が、フラッシュバックする。

その笑顔が、今の自分を見下しているように思えた。
もちろん、真奈美にそんなつもりはないことは、よくわかっている。
真奈美だって、私とそんなに変わらない、普通の毎日を過ごす女だ。
それなりに明るくて、マジメで、優しい・・・普通の女。
それでも真奈美は、今の私が持っていない何かを手にいれた。

・・・私には、健介がいる。
健介がくれた、指輪がある。
健介と過ごす時間がある・・・・。

でも、真奈美の持っているものは、そのどれとも違う、非日常的なものに思えて仕方なかった。

真奈美には何の罪もない。
もちろん、健介にだって。

だけど、罪なく微笑む真奈美の笑顔は、今の私には痛かった。
健介の優しさも、いつものように愛情を感じるSEXも、ここで過ごした時間も、私の中のこの痛みを完全に消し去ることはできなかった。

いつもと変わらぬ日常、この部屋の中で、今までに感じたことのないこの胸の痛みだけは、いつもと違っている気がした。

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