約束の土曜日。真奈美が、少し早目に待ち合わせてお茶でも飲もう、と言ってきた。
私は約束の時間の一時間前、午後五時に真奈美とこの喫茶店で待ち合わせている。
健介には、真奈美と遊びに行くとだけ告げていた。 真奈美の好きな相手とその友達だから、おかしな事になるはずもないのだが、さすがに男と一緒だと言えば、健介もいい気はしないだろう。 手元の時計を見ると、五時になろうとしている。 もうそろそろ来てもいい頃だ。
頼んでいたコーヒーを店員が運んできたと同時に、真奈美が私の向かいの席に座った。 「悠子、早かったのね。」 「うん。5分くらい前に着いた。」 「私にも、コーヒー一つ下さい。」 真奈美はそう店員に言って、着ていたジャケットを脱いだ。 香水の、甘い香りが漂ってくる。 真奈美は、普段香水はつけない。 やっぱり今夜は、いつもと気合いが違う。 「真奈美、トレゾア付けてる。」 「え?匂いきつい?」 「ううん。甘くていい匂い。」 「久し振りに付けたよ。昔、ちょっと流行ったよね。」 「男受けナンバーワンとか言ってね。」 私たちは、くすくすと笑う。 そういえば、うちにも何本かある香水の中にトレゾアがある。 だけど、今は香水なんてほとんど付けない。 仕事中はもちろん、健介と会うときだって、どうせ煙草の匂いが付いてしまってどうしようもないから、始めから付けない方がましだ。
「なんだか緊張しちゃって落ち着かないから、悠子と少しでも話したら、リラックスできるかと思って呼び出しちゃった。」 「そんなにドキドキしてるんだ。」 「そりゃそうよぉ。何度も誘って、やっと会えることになったんだもん。」 真奈美は終始、にやにやしている。 「私も楽しみにしてたのよ。真奈美がそこまでハマってる相手って、どんな人なんだろうって。」 真奈美の前に、コーヒーが運ばれてきた。 コーヒーにミルクを入れている真奈美の指先は、ピンクのマニキュアで彩られている。
今日の真奈美は、今まで見たどの真奈美よりも女らしくて、キレイだ。 長い髪もきれいに巻かれて、肩先で揺れている。 なんだか、一緒にいる自分があまりにも普通すぎて恥ずかしくなる。 「巻き髪、きれいね。私も巻いてみたいんだけど、うまくいかないのよね・・。」 「慣れれば簡単よ。」 私もセミロングだから、巻こうと思えばなんとかなりそうだけれど、きれいに巻くのは難しいからあまりやったことがない。 「やっぱ真奈美、気合い入ってるね。彼って、そんなにカッコいい人なの?」 「んー。カッコいいっていうか、なんとなく雰囲気がいいのよね。」 「いくつなの?彼。」 「・・・38。」 「えっ?」 思いがけない真奈美の言葉に、飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになった。 「さ・・38ぃ?まさか、既婚者じゃないでしょうね?」 「ううん。バツイチらしくって。」
・・・38のバツイチ。
私の知っているはずの真奈美が、絶対に好きになるわけがない人種。 独身だから、結婚対象にはなるだろう・・・。 だけど、バツイチ・・・?
「びっくりしたでしょ?」 真奈美がコーヒーを飲みながら笑う。 「うん・・・。なんか、真奈美が好きになりそうもないタイプの人だから・・・。」 「だよね。私もそう思ってたんだけど、人間ってわからないものよね。」 ほんとに、わからない。 不倫をしている同級生もいたりするくらいだから、そういう恋愛もあるのだろうけれど、真奈美とその恋愛がどうしても結びつかない。
「彼とはね、友達の紹介みたいな形で知り合ったんだけど、最初に会った日はなんとも思ってなかったのよ。だけど、2度目に同じメンバーで飲みに行ったとき、彼といろいろ話す機会があってね。」 真奈美はそこまで言って、視線を少し落とした。 「・・・なんとなく、好きになっちゃったのよね。」
また、あの微笑み。
「何がそんなに良かったの?真奈美がそこまで入れこんでしまうくらいの、何かがあったわけよね。」 私は、はにかむ真奈美を見つめながら言った。 「何が?って言われると、「これ」とははっきり言えないんだけど、彼と話した日、家に帰ってからも、彼と話したこととか、そのときの彼の表情とか・・・そんなことばかり思い出してしまったのよ。私の心の中に、ぐっと踏みこんでくるというか、そういう雰囲気が彼にはあったのよね・・・。」 真奈美はうっとりとしながら話す。 私は、なんとなくわかるような、わからないような・・・複雑な気持ちだった。 「何か、きっかけみたいなものはあったんでしょ?・・・こう・・・なんか、いいなって思うきっかけ。」 「うーん・・・。しいて言えば・・・、声かなぁ?」 「そんなにいい声なんだぁ。」 「いい声っていうか、こう、身体に直接響くような、そんな声なのよ。」 身体に直接響く声・・・。 「なんかさぁ・・・。」 私は、ほんの少し真奈美の方へ身を寄せながら言う。 「身体に響く声・・・って、ちょっとヤらしくない?」 真奈美が、少し顔を赤らめる。 「ほんとだ。ちょっといやらしかったかも。」 二人で顔を見合わせて笑う。 「でも、ほんとになんか響いてくるのよ。気持ち的にも身体的にも。電話で話してても、ドキドキしちゃうもん。」 「それはさぁ、真奈美が彼に惚れてるからそう思うだけなんじゃないの?」 「んー。そうかもしれないね・・・。」 「あー、やだやだ。想像ばっかり膨らんじゃって、わけわかんなくなってきたわ。」 私は、大げさに首を振る。 「ま、もうすぐすれば会えるんだし、見ればわかるわよ。」 真奈美は、腕時計を見て言った。 私も真奈美につられて、時計を見る。 「そろそろ行こうか。」 「あー・・・。緊張しちゃう。」
もじもじする真奈美の手をつかんで、私たちは席を立った。
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