■純恋愛
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第二章 Room302-7
「302号室ね。覚えとこ。」
石場は私の部屋の前でそう言った。
「どうぞ・・・。」
部屋の鍵を開け、先に石場を通す。
「おじゃましまーす。」

なぜか、こういう展開になっていた。
気が付けば私は、石場を部屋に誘い、お湯を沸かしている。

「適当に座ってください。」
「もう座ってる。」
見ると、テーブルの前に座って、笑っている石場がいた。
私は、その向かい側に座って言った。
「思惑通りに進んだと思ってるでしょ?」
「イヤな言い方するなぁ・・・。でもまさか、部屋に入れてくれるとまでは、思わなかったよ。どこかでゆっくり話せればいいなぁとは思ったけどね。」
石場はきょろきょろしている。
「狭い部屋でしょ?」
「OLさんの一人暮しって、こういうもんでしょ?」
そう言って石場は、また、私をじっと見る。
「なんですか?」
「見ちゃだめ?」
「だめ?って・・・聞かれても・・・。」
私は、思わず目をそらし、手元に視線を落とす。
「・・・それ、きれいな指輪だね。婚約指輪でしょ?」
私は、その存在を忘れかけていたことに気付いた。
「あ・・・これ?」
私が、左手を軽くあげると、石場は大きくうなずく。
「婚約指輪なのかなぁ?・・・よくわからないの。」
私の言葉に、石場が眉をひそめる。
「どうして?結婚前提に付き合ってる彼がいるって言ってたじゃない。」
「んー。そういう意味とは、ちょっと違うかも。彼は、《いずれは》としか言わないしね。」
「・・・悠ちゃん、彼とは結婚しないと思うよ。」
「え?」
石場の言葉に、思わず絶句した。
石場が身を乗り出して、私に顔を近づける。
「俺にはわかるんだよ。」
石場の手のひらが、私の右の頬に触れた。

ぴーーーー。

そのとき、間抜けな音が部屋に響く。
やかんのお湯が沸いた音。

私は急いで立ち上がって、コンロの火を止めた。

右の頬が焼けるように熱い。
石場に触れられたところだけが、溶けそうな気がした。

来客用のソーサーとカップ、そして自分のマグカップを棚から下ろす。
スプーンでインスタントコーヒーをすくおうとするが、手が震えてうまくいかない。
私は、ひどく動揺していた。
男とこんなシチュエーションになったのなんて、はじめてじゃないのに。

「俺、お砂糖もミルクもいらないから。」
石場の平然とした声に、動揺している自分が恥ずかしくなって、私は少し落ち着きを取り戻した。
自分のコーヒーに砂糖とミルクを入れ、二つのカップを両手に持って、石場の元へ戻った。
「悠ちゃん、ありがと。」
「それ飲んだら、帰るんでしょ?」
私は、石場の向かい側に座る。
「悠ちゃんと、楽しい語らいのひとときを過ごしたらね。」
「何を話したいっていうのよ。さっき、みんなで散々しゃべったじゃないの。」
「・・・二人でしかできない話がしたい。」
石場がまた、まっすぐに私を見つめた。
「二人でしかできない話っていったって・・・。」
目をそらすように、私はうつむく。
「私たち、今日会ったばかりで、お互いのことなんてほとんど知らないじゃない。それで何か話すっていっても、話題なんてないわよ・・・。」
「知らないから、俺にいろいろ教えてよ。悠ちゃんのこと。」
石場が、コーヒーに口をつける。

この人は今、何を考えてるんだろう・・・。
そして、私は今、何を・・・。
このあと、私たちはどうなるんだろう・・・。

今日初めて会ったけれど、そんな感覚ではなかった。
私はずっと、毎日顔を会わせる真奈美の淡い表情の向こうに、この男の存在を感じていた。
そして今、手を伸ばせば届く距離に、彼はいる。

「真奈美はちゃんと送っていったの?」
身体中に広がる、妙なざわめきを遮るように、私は話し始めた。
「もちろん。家の前までちゃんとタクシーで送り届けたよ。そのあとで、ここに来たんだから。」
「ずっと真奈美は、あなたに会いたいって言ってたのよ。何度も電話がかかってきたでしょう?」
「まぁね・・・。」
石場は、背後のクッションにもたれこんだ。
「週末がダメなら、平日にデートすればいいんじゃない?ってさっき話してたの。約束、したんでしょ?」
私は、手元のマグカップをくるくる回しながら話している。
「そのマグカップ、彼用に色違いのがあったりするんでしょ?」
「へ?」
・・・確かに、私のピンクのマグカップとお揃いになっている、グリーンのチェック柄のカップが、この部屋には用意されている。
もちろん、健介が使うためのものだ。
「彼は、この部屋によく来るの?」
「毎週、週末にはここで会ってるのよ。たまに向こうの部屋に行くこともあるけど、この頃はほとんどこっちね。」
私の言葉に、石場がにやっと笑う。
「仲いいんだね。・・・でも、悠ちゃんは、彼とは結婚しないよ。」
石場は、またさっきのセリフを繰り返した。
「なっ・・・何言ってるのよ!なんであんたにそんなことが分かるのよ。私たち、うまくいってるわ。いずれ結婚するのよ!」
「いずれって、いつだよ?」
「・・・っ・・・!」
私は、絶句する。

いずれって、いつ?

何度も自分に問い掛けた言葉だった。
いつだって、同じことじゃない・・って、ずっと思ってた。

「私のことなんて、どうだっていいじゃない。さっき、真奈美の話をしてたのよ?それがどうして、こんな話になるのよ。」
私は、石場に強い口調で言った。
石場の顔が、険しくなる。
「俺は、真奈美ちゃんの話をするために来たわけじゃないよ。」
少し、低くなった声。
「二人でしかできない話をしようって言っただろ?悠ちゃんの話を、もっと聞かせてよ。」

石場は、少しずつ私の方へ近づいてきていた。
私もそれに気付いていたが、遠ざけることもせず、なすがままの状態だった。

石場が私の隣に来る。
両手で私の顔を包み込んだ。

「・・・悠ちゃん、幸せそうなオーラが出てないんだもん。結婚するほど愛する相手がいるはずなのに、何か、別のものを求めてる顔してる。」
「ちょっ・・・。」
私は、あまりにも近い、彼との距離に戸惑っていた。
私の心臓の音が、部屋中に響いているような気がする。
「俺なら、悠ちゃんの欲しいもの、満たしてあげられると思うよ。」

私をじっと見つめる、石場の瞳。
身体中に響く、甘い声。

私は思わず、目を閉じてしまう。
彼の眼差しが、熱すぎて。
苦しくて、切なくて、どうにかなりそうだった。

おでこに、やわらかい感触。

石場のくちびるだ・・・・。

私はそっと、目を開けてみた。
優しい顔をした石場が、目の前にいる。

「今、悠ちゃん、とってもきれいな顔してる。」
「えっ・・・?」
石場が、私をやさしく抱き寄せた。
「こんなにかわいいのに、寂しい顔してちゃだめだよ。」
こうしてると、石場の声が、言葉通り、身体中に響いてくる気がした。
「俺がいっぱい、ちやほやしてあげる。いっぱい、優しくしてあげるよ・・・。」

夢の中にいるようだった・・・。

真奈美の、あの微笑みが瞼の裏に浮かんできた。
あれが、欲しいと思っていた。
あんな風に笑いたいと・・・。

あれは確かに、今の私が忘れてしまっているもののように思えた。
だから、私だってあんな風に笑えるはず、取り戻したい・・って、ずっと思ってた。

だけど・・・・。

私は、石場の腕に抱かれている。
石場が、私の欲しいものを与えてくれると言う。

「あなた、何を考えているの・・・?」
私は、重い口を、やっとのことで開いた。
「・・・俺は、ただ、悠ちゃんのそばにいたいんだ・・・。悠ちゃんの笑顔が見たいんだよ・・・。」

・・・・なんて、甘い声・・・。

私は、石場の顔を見上げる。
私たちの、視線がぶつかる。

ぴりぴりぴりっ・・・・

沈黙を破るように、テーブルに置かれた携帯電話が鳴った。

私は、急激に現実に引き戻された。
携帯電話のディスプレイに、健介の名前があった・・・。

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