■純恋愛
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第二章 Room302-8
「もしもし・・・。」
私は、恐る恐る健介からの電話に出た。
「あ、悠子?もう帰ってるの?」
いつもと変わらない、健介の声。
受話器を持つ私の手は、少し震えている。
「あ、うん。10時過ぎに帰ってきたよ・・。」
「だいぶ飲んだんだろう?」
「・・・んー。そうでもないけど・・・。」
そう言いながらも、大きな罪悪感が、私の胸いっぱいに広がっていた。
石場の方に目をやると、床に置かれていた雑誌を手に取り、ぱらぱらとページをめくっている。
「あのさぁ、今日会えなかったから、明日そっちに遊びに行こうと思ってたんだけど・・・。」
「えっ?」
健介・・・来るの・・・?

正直、今は健介に会いたくなかった。
こんなことがあったすぐ後に、健介をこの部屋に入れるのは、さすがに気が進まない。

「実は、今日の夕方にさ、実家からお袋が来たんだよ。こっちに遊びに来てたみたいで。でさ、今日一日うちに泊めることになってさぁ。」
「あ、そうなんだ・・・。」
「うん。で、明日の夕方、お袋を実家まで送っていくことになっちゃって。明日は悠子と会えそうもないんだわ。」
「そうかぁ・・・。」
健介の言葉に、少しほっとしている自分がいた。
「ごめんなぁ。」
健介の申し訳なさそうな声。
「そんな・・。しょうがないじゃん。私も今夜飲みに行っちゃったんだし。お母さんに、優しくしてあげなよ。」
私は、心の中で何度も健介に謝っていた。

健介、ごめん・・・ごめん・・・ごめんなさい・・・。

「また来週、平日に時間取れたら、メシでも行こうや。」
「うん。あ、でも・・・あんまり気にしないで。」
「俺がイヤなんだよ。今週も結局、平日は忙しくて悠子と会えなかったし。週末までこれじゃ、ヘタしたら一週間も全く会えないことになるだろ?」
「そうだね・・・。」
石場は、にやにやしながらこっちを見ている。

「悠子・・・?」
「あ、え?何?」
「悠子、元気ないみたいだけど、何かあったのか?」
健介の鋭い言葉に、私の鼓動が高まる。
「な・・・なんにもないよ?・・・明日会えないから、ちょっと寂しいな・・と思っただけ。」
「・・・だよなぁ・・・。ほんとごめんな。」
「ううん。ううん。ほんと、気にしないで。」

あぁ・・・。
罪悪感が、ピークに達してきた。

「健介、明日宇都宮まで運転するんでしょ?早く寝ないと、居眠りしちゃうんじゃない?」
「ほんとだなぁ。めんどくせーよ。」
「そんなこと言わないで、ちゃんと安全運転でお母さん送るのよ?」
「わかってるよ。・・・んじゃ、また電話するよ。」
「うん・・・。またね。」

電話は切れた。

テーブルに電話を置くと、石場が雑誌を閉じて、私に近付いてきた。
「彼氏からだったんだ。」
「そうよ・・・。」
「ほんと、すいません・・・って顔してたよ。」
石場がにやにやしながら言う。
「あっ・・・当たり前じゃない!あんな・・・あんなこと・・・」
「あんなことって?」
「あの・・・その・・・あんな・・・。」
私は思わずうつむいた。
「悠ちゃん、もっとしたたかになりなよ。」
石場が私の顔を覗きこむ。
「彼は、俺がここにいることなんて、全然知らないわけだろ?」
「そりゃそうよ。私は何も言ってないし、言えるわけないじゃないのよ。」
「だったら、傷ついたりしないよ。悠ちゃんと俺さえ黙っていれば、二人が何をしていようと、誰も傷ついたりしないよ。」
石場は、淡々と言った。
「そんなひどいこと・・・。」
「俺は別に、彼と別れて欲しいなんて、思っちゃいないよ。」
「別れる気なんて、ないわよ。」
「だったら・・・、誰にも内緒で会ってくれればいいじゃない。」
「そんなこと、私にはできないわ。」
私は、石場に背を向けた。

「できるさ・・・。悠ちゃん、女だもん。」
石場が、後ろから私の身体を抱き締めた。
「いい女は、男よりずっとしたたかで、ずる賢くて、嘘付きだよ。」
石場の吐息が、耳にかかる。
「男は、そんな女に振りまわされて、夢中になって・・・騙されて・・・それでも離れられないもんなんだよ。」
石場の熱い吐息に、身体中の力が抜けていく。
「俺を、手玉に取るくらいの女になってくれよ。悠ちゃんには、その資格があるんだ。・・・こんなにいい女なんだから。」

石場が、そっと私の身体を振り向かせる。
「会ったばかりの女に、よくそこまで言えるわね。」
私は、石場を見つめながら言った。
「俺はね、最初に悠ちゃんを見たときから、興味があったんだ。薬指にダイヤの指輪をしてるのに、ちっとも幸せそうじゃないからさ。」
石場が、私の左手をそっと握り、薬指の指輪を指先でなぞった。
「男にここまでさせといて、まだ足りないって顔をしてる女なんだもんな・・・。」
「なっ・・・!」
言いかけた私のくちびるを、石場の口唇が塞いだ。

長く、甘く、絡み合う。

もう、何も考えられなかった。
ひたすら、夢中で彼の唇を求めた。

私を抱く、石場の腕に力がこもる。
私もそれに答えるように、彼を抱き締めた。

くちびるが離れ、お互いを見つめ合う。

「悠ちゃん、かわいい。」
石場は、にっこり笑った。
満面の笑みだ。
「嬉しそうね。」
「そりゃそうだよ。こんなイイ女とキスできたんだからね。」
「褒め過ぎよ。」
「そんなことないさ。・・・さっき、言ったろ?いっぱいちやほやしてあげるって。」
「ちやほやって・・お世辞ってこと?」
「違うよ。俺は素直な男なんだよ。思ったことを、ストレートに伝えてるだけだよ。」

石場は、私の顔を両手で挟み込む。
「ほら、さっきよりキレイになったよ。」
「へっ?」
「女はね、褒められてなきゃダメなんだよ。男の褒め言葉や愛の言葉で、どんどんキレイになるんだよ。」
「・・・どっかのハウツー本みたいなこと言うのね。」
私は、苦笑いしながら言った。
「でも、ほんとだよ。男だってそうさ。」
「男も?」
「うん。悠ちゃんが、俺に好きだって言ってくれたら、俺もっとイイ男になるぜ?ま、これ以上イイ男になっちゃうと、俺も何かと大変だけどさ。」
「そうよね?何しろ、ものすごくモテる人らしいからね。」
私は、笑いながら石場の顔を覗きこむ。
「なんだよ、それ。」
「真奈美が言ってた。・・ものすごくモテる人だって・・。」
そこまで言って、真奈美のことを思い出す。

そうだった・・・。
目の前にいるこの男は、真奈美が恋をしている相手だった・・・。

だけど不思議なもので、真奈美に対しては全く罪悪感がなかった。
まだ片思いというせいもあるのかもしれない。
・・・そして、何となく、真奈美に勝ったという思いの方が強かった。

石場は、真奈美ではなく私を選んだのだ。

「悠ちゃーん。」
石場が、甘えた声を出す。
「何よ。変な声出して・・・。」
「俺、泊まってもいいかなぁ?」
「始めからそのつもりでしょ!」
私は、石場にクッションを投げつけた。
「ひどい言いぐさだなぁ・・・。まるで俺が、無理矢理悠ちゃんを丸め込んだみたいじゃないか。」
「似たようなもんでしょ?」
私はそう言って、立ち上がる。
「さ、どうする?石場さん、シャワーでも浴びる?」
私が振り向くと、石場も立ち上がり、私をベッドに押し倒した。

「ちょっ・・・シャワー先に浴びないと・・。」
「ぷっ・・・。」
石場が吹き出す。
「・・・悠ちゃん、焦るなよ。」
「なっ・・!何よ!そっちがこんなことしたんでしょ?」
「夜はまだ長いぜー?もう少し、色んな話しようよ。エッチなんて、これからいくらでも出来るよ。」
石場は、私の横に寝転がる。
「今夜は、俺たち二人の記念すべき夜だよ。・・・悠ちゃんが結婚した後も、楽しく思い出せるような夜にしような。」
石場が、私の手をそっと握った。

ベッドの上で、並んで手をつなぐ私たち。

私は、そっとこの部屋を見渡した。

石場からの電話で飛び出していった、そのときと何も変わらない部屋。
ただ違うのは、テーブルに置かれた二つのカップ、そして、隣にいる彼・・・。

ほかの何も変わってなんかいない。

一番違うのは、今ここにいる私だ。

この部屋の何もかもが違って見える。
さっきまでの空気は、もうここにはないような気がした。

この部屋も、私も、隣にいる彼がここに足を踏み入れた瞬間から変わってしまったんだ・・・。

つないでいる手に力を込めると、彼もぎゅっと握り返す。

言葉は何も交わさなかったけれど、お互いにこの恋の始まりを感じていた。

言葉での確認も、将来の約束も、指輪も、二人の歴史も何もない。
ただ、お互いの気持ちだけでつながっている恋愛。
どちらかが、もう会いたくないと思えばそれで終わる。
お互いを求める気持ちだけで、つながっていくんだ。

ある意味、一番純粋な恋愛の形のように思えた・・・。

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