■純恋愛
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第三章 うたかた-1
月曜日の朝。
いつもと変わらず、一週間が始まった。
私は、駅から会社までの道を歩いている。

土曜の晩、石場は私の部屋に泊まり、日曜の夜まで二人きりで過ごした。
だが、意外なことに、セックスをすることはなかった。
何度かキスもしたし、抱き合ったりもしたが、裸になったのは、それぞれがシャワーを浴びた時だけで、その後はずっと、服を着た状態で語り合っていた。
石場には、健介に着せるつもりで買ってあった、新品のスウェットの上下を貸した。
それが思いのほかよく似合って、石場はいたく気に入っているようだった。

お互いスウェット姿で、横になったり座ったりしながら、いろんな話をした。

石場が長野にいた頃の話。母子家庭で育ったということ。お兄さんが一人いて、そちらは幸せな結婚をし、平凡なサラリーマンとして生活していること。
経営しているレストランの話。土曜日一緒に飲んだ、中島の学生時代の話・・・。

いつまでも、話は尽きなかった。

だけど、気になりながらどうしても聞けなかったことがある。
それは、前の結婚のこと。
どんな奥さんだったのか、結婚生活はどれくらい続いたのか、子供はいるのか、どうして別れたのか・・・。
聞きたいことはたくさんあったけれど、そこまで踏みこめない何かが、私たちの間にはあった。

知り合ってから数時間であんな風になって、いくらなんでも、急に何もかもを理解し合うのは無理だと思う。
彼は、ごく自然に私の心の中に入りこみ、その存在する場所を少しずつ、侵食するように広げていった。
だけど、私の心の一番奥までは入ってこない。

ぼんやりと見えているのに、すぐ近くまで来ているのに・・・そこから先へは踏みこめない。
薄い、擦りガラスのような壁が隔てている感覚。

私たちの間にある、壁のようなもの。
それは、健介の存在なのか、それとも真奈美の恋心なのか。
その両方のようであって、どちらでもないような気がした。

「悠子、おはよう。」
会社の玄関の前まで来たとき、真奈美が背後から声を掛けてきた。
「あ、おはよう・・・。」
「土曜日は、ありがとね。楽しかった。」
真奈美は、にこにこ笑っている。
その笑顔を見ながら私は、ゆうべまで一緒にいた石場と、何度も交わしたキスや抱擁を思い出していた。

真奈美は、何も知らない・・・。
まさか、自分が恋をしている相手と、目の前にいる私がそんなことをしてるなんて、夢にも思ってはいないだろう。

そう思うと、全身がぞくぞくとしてきた。
見飽きた会社の風景も、真奈美の顔も、今までとは全く違う色が付いたように見えてくる。

きのう、真奈美は石場の携帯に電話をかけてきた。
土曜日のお礼のようだったが、そんなものはただの口実だ。
平日、二人で会う約束を取りつけたかったのだろう。
「ここんとこ、忙しいから。」と、石場は話していた。
その後、適当な相槌を打っていたが、すぐに電話を切った。
石場に、誰からの電話なのか聞いたわけではない。
だけど、会話の内容で誰からなのかすぐわかった。

「石場さんと、約束はできたの?平日にデートするんでしょ?」
答えをわかっていて、真奈美に聞く。
「うーん・・・。なんだかね、はぐらかされちゃった。忙しいとかなんとか言ってたけどさ・・・。」
真奈美は、深いため息をつく。
「彼、ほんとに忙しそうじゃない。土曜日行ったレストランだって、結構お客入ってたし。」
「そうなんだけどさ・・・。何だか、このままずるずるこの状態が続きそうで、イヤになっちゃう。何とかデートに漕ぎ着けたいんだけどね。」
「タイミングさえ合えば、時間作ってもらえるわよ。ちょこちょこ女と会ってそうじゃないの。モテる人なんでしょ?」
「そういう女の内にも入れてもらえてないんじゃ、どうしようもないわよ。」
真奈美は、完全に肩を落とす。
「何言ってんのよ。まだ始まってもいないじゃない。また、電話すればいいのよ。」
私は、真奈美の肩を軽く叩いた。
「そうね・・・。もうここまで来たら、それしかないもんね・・・。」

私は、この状況を完全に楽しんでいた。
と同時に、自分で思っていた以上の私自身の性格のずるさ、汚れた部分を知り、びっくりしていた。

「あ、そうだ。高原くんにも、謝っといてね。土曜日、悠子を連れ出しちゃったんだから。今度奢るって言っといてね。」
「そんなのいいって。健介も、実家からお母さんが出てきたみたいで、どっちにしても会えなかったしさ。」
「あ、そうなんだ。高原くんも、大変だったのね。」
真奈美は、ほっとしたように笑っている。

真奈美は、優しい子だ。
なのに私は、そんな優しい友達と、将来を約束してくれている恋人を裏切っている。
さすがに胸が痛む。

だけどそんな胸の痛みとは裏腹に、金曜日、この会社を出たときとは全く別人のように、高揚した気分でここにいる私。

「早く着替えてタイムカード押さなくちゃ。」
そう言って駆け出す真奈美の後ろを、私も軽い足取りで追いかけて行った。

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