事務所に戻ると、廊下で健介と真奈美が立ち話をしていた。 「お、アル中娘さん、おかえり!」 私が戻って来たのに気付いた健介が、軽く手をあげながらそう言った。 「誰がアル中よ。」 むすっとして答える私に、真奈美も手を振っている。 「悠子、おかえりぃ。今ね、土曜のお詫びに食事でも奢ろうかって話をしてたのよ。」 「お詫び?そんなのいいのに。」 「そうはいかないわよ。二人の甘いひとときを、私のせいで邪魔しちゃったんだもの。」 真奈美はにやにやしながら言う。
私は、真奈美のおかげで週末、甘いひとときを過ごすことができたのに。 ・・・相手は違うけれど。
「悠子、土曜日、中村さんが今入れこんでる人と一緒だったんだって?」 「へっ?」 ・・・真奈美、言っちゃったんだ・・・。 「あ、そうなの。見てきちゃった。真奈美の好きな人。」 私は、軽く笑ってごまかす。 「悠子、なんにも言わないんだもんなぁ。」 「高原くんが、ヤキモチやくと思ったんじゃない?」 真奈美は、くすくす笑っている。
・・・何笑ってるのよ・・・。 ヤキモチやくとかそういうことじゃないのに。 他の男と酒飲むって言えば、多少はイヤな気分になるかもしれないのに。
「ヤキモチも何も、相手は中村さんが好きだって言ってる男だろ?」 健介は、私の頭を小突く。
健介・・・私、その男とキスしたんだよ。 きっと、これから先も二人で会うよ。 キス以上のことも当然するんだと思うよ。 心の中でつぶやいて、心の中で笑う。
「優しそうないい人だったよー。」 私は、敢えてどうでもよさそうな口調で言った。 「悠子ったらね、彼とケンカしそうになってんの。」 真奈美が、冗談めかした口調で言う。 「ほんと、ヒヤヒヤしちゃったわよ。」 「あー。こいつ、結構気がキツイとこあるからな。」 「・・・あれは、石場さんが変なこと言ったからでしょ?」 私は、真奈美を軽く睨んだ。 「え?変なこと?」 健介は、私に視線を移す。 「あぁ・・・。彼氏は何人いるのか?とか。変なこと聞くでしょ?」 「ぷ。なんだそれ。」 「変でしょー?」
・・・あの質問、聞いたときには「はぁ?」って思ったけれど、今となっては笑えない質問だ・・・。
「中村さんって、そんなおかしな男が好きなわけだ。」 「おかしい人じゃないよぉ。結構優しいんだから。」 真奈美が、幸せそうな微笑みを浮かべる。
何笑ってんのよ。 今、あんたが微笑みながら思い浮かべてる男、私を口説いたのよ。 そのうち私と寝るのよ。
心の中で、悪態を付き続ける私。。
「ま、早く二人っきりでデートできるように、がんばらないとね。」 私は、胸の中のどす黒い感情を振り払うように、そう言った。 「ほーんと。なかなか進展しなくて、イヤになるよ。」 「なんでだろ?俺、中村さんって結構イイと思うけどなぁ。」 健介が首を傾げる。
真奈美は、決して見栄えは悪くない。むしろ、いい方だと思う。 健介だけじゃない。会社の男たちも、合コンで真奈美と知り合った男たちも、真奈美をイイ子だという。 きれいで優しい女性だと評する。 だけど、男たちは真奈美を選ばない。
そんな男たちの気持ちが、私には少しわかる気がした。 容姿も良く、性格も悪くない・・・でも、ただそれだけなのだ。 それなりの女。 だから印象も薄いし、男の気も引かないのだと思う。
「ちょっと、いつまでもこんな所で遊んでていいの?」 私は、健介を肘で突付く。 「あ、やべ。俺会社戻らなきゃ・・・。」 健介が時計を見て、慌てだす。 「高原くん、ほんとに今度食事でも奢るから。」 真奈美は、健介の肩を叩いて言った。 「いいよ。ほんとに気にしなくて。それより、その彼とうまくいくといいね。」 「ありがと。うまくいったら、高原くんにも紹介するね。」 「四人で飲めるの、楽しみにしてるよ。じゃ、悠子、また電話するわ。」 「はーい。おつかれさま。」 私と真奈美は、並んで健介の背中に手を振った。
「さ、私たちも仕事、仕事。」 真奈美が、私の背中を押す。 事務所に入り、真奈美と別れて自分のデスクに戻る。
今日の真奈美は、いつも通りの彼女。 薄い化粧に、後ろで束ねたストレートのロングヘア。 髪を多少茶色く染めてはいるけれど、いたって普通のお嬢さんって感じだ。
だけど、土曜日の真奈美は違った。 きれいにカールした髪、丹念に施された化粧、そこから匂い立つ、トレゾアの甘い花の香り。 真奈美に、強烈な「女」を感じた。
好きな男に会うため、自分を飾ることに持てる時間のすべてを注ぎ込んだのだろう。 大半の女なら、そうするのはごく自然なことだと思う。 でも、あの日の真奈美は、纏(まと)っている空気まで違った。 土曜日、真奈美を目にした瞬間、女の私ですら少しどきっとした。
私は、自分の髪をきれいにカールさせることもできないし、甘い香りを漂わせることすら最近はない。 普段から肌の手入れと化粧は割と熱心にする方だが、それは誰のためでもなく、自分のための作業だった。
私は、自分の外見に少しだけ自信を持っている。 他に何の取り柄もない私にとって、外見を美しく整えておくことは、とても大切なことだった。 食べることや飲むこと、仕事、健介・・・それらと変わらないくらいに、気にかけてきた。
だけど、あの日の真奈美にはかなわない気がする。 それぐらい美しく、艶(なまめ)かしい魅力があったのだ。
忘れかけていた、もやもやとした苛立ちが私を襲ってきた。
思わず席を立ち、トイレに掛け込んだ。 鏡に自分を映し、自分を見つめる。
私のどこが、真奈美に劣っているというのだろう。
石場は、真奈美でなく私を選んだのだ。 健介だって、私を選び、結婚したいとまで言った。 私は、何ひとつ真奈美に負けてなんていない。 男たちはみんな、真奈美ではなく私を選ぶんだ。
私は、鏡の中の自分を見つめながら、深いため息をついた。
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