■純恋愛
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第四章 To be or not to be-10
石場の車で自分の部屋に戻り、私は荷造りを始めていた。
今日の夕方から、実家に帰るつもりなのだ。
必要なものを、あらかたボストンバッグに詰めたところで、私は携帯電話を手に取った。
実家に電話をしなければならない。
まだ、いつから帰るとも年末をどう過ごすとも伝えていなかった。
メモリをいじり、実家の番号を探し出して私は発信ボタンを押す。
何度かコールしたあと、弟の明るい声が聞こえた。
「もしもーし。小川でーす。」
「あ、幸太?私よ。」
「なんだよ。姉ちゃんかよ。」
あからさまに、弟である幸太の声が変わる。
「俺、今電話待ちなんだよ。手短に頼むよ。」
「何よ。相変わらず感じ悪いわねえ。携帯で連絡とればいいでしょ?」
「俺、今電話止まってんの。金ないからさ。それより、姉ちゃん、こっち帰ってこねえの?」
「そのことで電話したのよ。お母さんに代わって。」
私がそう言うと、受話器の向こうで幸太が母を呼ぶ声が聞こえた。
「もしもし。悠子?」
母の声を聞くのは、数ヶ月ぶりだった。
こんなに近くに住んでいるのに、私は電話ひとつ家に掛けたことがなかったことに今更気付いた。
「お母さん、私、今日からそっち帰るから。」
「あら、そうなの?」
母の嬉しそうな声。
「荷物も準備できたし、今からこっち出るわ。」
「あら、だったら幸太に迎えに行かせるわよ。車で。」
「何?幸太のやつ、車なんて買ったの?」
「お父さんが新しい車買ったから、前の車を幸太にあげたのよ。」
「生意気ねえ。幸太のくせに。」
私が言うと、母がくすくすと明るい声で笑った。
「今から、幸太をそっちに行かせるわ。」
「あいつ、電話待ちだって言ってたから、嫌がるんじゃないの?」
「掛かってきやしないわよ。何しろ昨日からずっと電話待ちなんだから。」
「あ、そうなの?」
「あの子今、携帯電話繋がらないのよ。お金払ってないらしくって。だから、30分ほどしたらマンションの下に出てきてやってちょうだい。」
「うん。分かった。じゃあ、待ってるわ。」
「よろしくね。」

電話を切って、私はソファにごろりと横になった。
そういえば一度だけ、幸太がこの部屋にやってきたことがあった。
引越しの手伝いをしに来たときだ。
私は、手伝いなど要らないと言ったのに、母が幸太を連れてここに来たのだ。
あれから、2年。
あのとき高校生だった幸太は、もう大学生になり、成人した。
私があの家を出て、一人暮らしを始めたときの年齢と同じ歳になったのだ。
お盆に帰ったときは、たった一泊だったせいもあるが、ほとんど家族で話をする時間もないままにこちらに戻ってきてしまった。
しかし、今回は違う。
父や母と話をするために、あの家へ帰るのだ。

そのとき、私の携帯電話の着信音が鳴り響く。
ディスプレイには、健介の名前があった。
「もしもし?」
「あ、悠子?もう実家にいるんだろ?」
「ああ・・・昨日から帰るつもりだったんだけど、何だかバタバタしちゃって。結局今日これから帰ることになっちゃったの。」
「なーんだ、そうなのか。」
健介が、少し笑いながらそう言った。
「どうしたの?健介は、もう実家?」
「うん。今こっちに着いたとこだよ。悠子、もうお父さんやお母さんに俺のこと話したのかな?ってちょっと気になったから。」
「うーん。まあ、タイミング見て話してくるよ。」
「俺の方はさ、結婚するってだけできっと喜んでくれると思うんだ。だから、何の心配もないんだけどね。」
健介の声を聞きながら、私たちの結婚が現実のものとして進み始めていることを感じていた。
恐いくらいに、私は何も変わっていないのに。
「まあ、こっちからも何度か電話するけど、何かあったら俺が直接行って話してもいいしね。改めて挨拶には行くけどさ。」
「ありがとう。でも、私の方も大丈夫だと思うよ。きっと、うちの親喜ぶと思う。」
「悠子には申し訳なかったと思ってる。なんせ、すごく急な話だったし。」
「ううん。いずれ、結婚するつもりだったんだから。それが少し早くなっただけよ。」
「ごめんな。」
「大丈夫だって。」
私は、少し笑いながら健介に答えた。

口から発している言葉に、少しも気持ちがついて来れていないのが分かっていた。
口先だけが上滑りし、心で思う前にどんどん言葉が飛び出していく。
「実感がない」という一言で片付けていいものかどうか、決めかねているのだ。
だけど、この気持ちの答えを見つけることが恐くて、私は固く心の眼を閉じている。
「これでよかったんだ」と、何度も自分に言い聞かせることしかできない。

「じゃあ、また電話するから。気になるから、毎日掛けちゃうかもしれないけど。」
健介は、そう言って笑った。
「毎日でも何度でもどうぞ。メールしてくれてもいいし。」
「メールより電話の方が早いじゃないか。」
「それもそうね。」
「何日まで実家にいるんだ?」
「三が日済んだら、こっちに戻ってくるつもり。」
「俺も、そのあたりには東京に帰るつもりだし、また戻ったら会おうか。それも連絡するよ。」
「うん・・・。」
「今年の初詣は、俺は遠慮するよ。家族で行ってこいよ。」
「うん。そのつもり。」
「じゃあ、気を付けて行ってこいよ。」
「ありがとう。じゃ・・・。」

受話器を置いて、私は一呼吸深くついた。
去年の正月は、大晦日の夜に健介がうちの実家まで車で来てくれて、一緒に初詣に行った。
あのとき神社で手を合わせ、何を祈ったのか思い出そうとしたが、忘れてしまっていることに驚いた。
私たち二人のことだったのか、家族のことだったのか・・・。
そのままソファに横になり、ゆっくりと目を閉じる。
ゆうべから今朝まで過ごした、熱く、甘い時間を思い出す。
実家に帰り、結婚へ向かって動き出す自分を思うと、その時間をまるでどこか遠い世界で過ごしたように感じる。
夢を見ていたのかもしれないと。
時計に目をやると、幸太が迎えに来る時間が迫っていた。

そう。
紛れもなく、これが私の現実なのだ。
私はボストンバッグを掴み、足早に部屋を後にした。

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