クリスマスイブの夜、私と健介は仕事の後に待ち合わせて会った。 街も店もカップルで溢れている。 イルミネーションが輝く街を抜けて、健介が予約しておいてくれたレストランに入る。
ディナーのコースが進み、デザートに差し掛かったところで、健介が話を切り出した。 「悠子、話があるんだけどさ。」 「うん・・・。何?」 健介の表情と口ぶりから、私たちの結婚に関することだろうと思った。 クリスマスイブに、改めてプロポーズがあるのではないかと、私自身も感じていたのだ。 「うちの会社、新しい支社ができるんだよ。」 「あ、そうなんだ。すごいね。事業拡大じゃない。」 「まあな。で、その支社の事業立ち上げのスタッフに、俺が選ばれた。」 健介が、ケーキを食べていたフォークを置く。 コーヒーを一口飲み、私をまっすぐに見つめる。 「俺、福岡に行くんだ。来年の3月の終わりごろからになると思う。」 「ふ・・・くおか?」 「ああ。福岡。」 私も思わず、フォークを置き、健介を凝視してしまう。 「ここから先は、悠子も言わなくてもわかってくれると思うけど・・・。ついて来て欲しいんだ。福岡に。」 「それ・・・って・・・。」 「ああ。もちろん、結婚して福岡に、って意味だよ。」 「だけど、来年の3月って、もう時間がないじゃないの。」 「そうなんだ。それは、悠子にも申し訳ないと思ってる。結婚式の準備をする時間もなく、こんな急な話になってしまって。」 私は、健介の言葉をぼんやりとした意識の中で聞いていた。
福岡。 行ったことすらない街に、私は健介と一緒に住むことになるのか。 当然、もう石場には会えなくなる。 それどころか、私を取り巻く環境の全てが変わってしまうのだ。 孤独で退屈な日常に埋もれ、息苦しくなったとき、私はどうすればいいのだろう。 そんな私を迎え入れてくれる場所は、福岡にはないのだ。 福岡には、石場はいない。 石場を失った私は、今のように笑えるのか。
「悠子・・・。不安な気持ちは、俺にもわかる。だから、じっくり考えてくれればいいよ。」 健介が、タバコに火を付けた。 「ただ、今結婚しなかったら、俺は今度、いつ東京に帰ってこれるかが分からないんだよ。このまま、遠距離恋愛になってしまうことになる。」 「東京と・・・福岡・・・。」 「そう。遠いよな。俺は、そんなのは嫌だ。ずっと、悠子と結婚したいと思ってたし、それは悠子もわかってくれてると思う。だから・・・。」 「考える。考えるよ。少しだけ、時間をもらってもいい?健介と、結婚したいの。でもね・・・。」 「わかってる。年末、実家に帰るんだろ?俺も親と相談するつもりだし、悠子もじっくり話し合ってみてくれよ。」 「・・・わかった・・・。」 私は、小さくうなずいて、コーヒーのカップに口をつける。
年が明けた頃には、すっきりと答えが出ているというのだろうか。 少しもそんな気がしない。 どんな結論を出したとしても、私が100%望む結果にはならない。 私の心の中には、喪失感しかなかった。 愛する男からプロポーズされて感じるはずの喜びや、感動、満足感なんてない。 私はきっと、このプロポーズを受けることになるだろう。 心の中の天秤は、石場を失う辛さよりも、健介を失う辛さの方が重いと言っているからだ。 それでも、私は石場を諦めきれない。 胸の奥から伸びた手は、あの部屋の、あのベッドのシーツをぎゅっと握って離さないのだ。 人ごみではぐれまいと、父や母のシャツの裾を握り締める子供のように。 平凡で、泣きたいくらいに退屈な日常に埋もれまいと、私はもがいている。 埋もれて、はぐれて、つまらない女になりたくないと、あの部屋にすがっているのだ。
「悠子は、実家にはいつから帰るの?」 健介の声で、ふっと我にかえる。 「あ・・・金曜で仕事納めだから、その後に帰るよ。」 「俺も、金曜日で今年は終わりなんだよ。どうする?帰省する前に、一度会う?土曜にでも。」 そうか・・・。 帰省前に会わなければ、今日が今年最後のデートになるのか。 「ううん。土曜から実家に帰る。早めに帰って、今日のことも話し合いたいし。」 「そうか。そうだよな。それに、もしかしたら、今年の正月が独身最後の正月になるかもしれないんだしな。ゆっくり親孝行してこいよ。」 健介が、優しい笑顔を見せる。 そして、隣に置いていた小さな紙袋を私に手渡した。 「これ、クリスマスプレゼントな。俺に任すって言ってたから、俺の独断で選ばせてもらったから。」 それを受け取り、私も用意していたプレゼントの入った紙袋を渡す。 「今年はなんだろ。開けていい?」 健介が、嬉しそうに言う。 「どうぞ。私も開けるね。」 「どうぞどうぞ。」 包みを開けると、そこには、見覚えのあるネックレスが入っていた。 これは、私が夏の終わりごろ、健介と買い物に行ったときに見ていたネックレスだ。 軽い気持ちで、「欲しい」と言ったつもりだったのに。
あんな小さな出来事まで覚えていて、こうしてプレゼントしてくれる。 これほど大きな愛情を持った人に愛されて、結婚までしてくれると言うのに、どうしてこんなに空しい気持ちになるのだろう。 「うわー。これ、悠子がくれた財布と同じシリーズのやつだ。自分で買おうと思ってたけど、買わなくてよかったよー。ありがとな。」 嬉しそうに、キーケースを何度も触る健介を見ていると、涙が出そうになった。 「健介、ほんとにありがとう。」 震えそうな声を、ぐっと抑えながら私は言った。 そして、心の中で、「ごめんね」と付け加える。
いつから、私はこんな風になってしまったのだろう。 大きな愛情に包まれていても、心から笑えない。 石場と出会ったせいなのか。 私の心は、石場を求めているからなのか。
いや、違う。
石場も、石場と会うあの部屋も、全て私が作り上げた世界でしかない。 過去も未来も、日常の雑多な煩わしさも存在しない世界。 退屈な日常から飛び出したいと私が望んだとき、たまたま現れた石場という男を、その世界の住人に仕立てあげただけなのだ。 過去も未来も日常も、石場やあの部屋に存在しないわけじゃない。 私が知ろうとしなかっただけだ。知りたくなかっただけなのだ。 知ろうとしないから、感じないだけだったのかもしれない。 石場は、私が欲しがるものしか与えない男なのだから。
石場に会いたい。
今、私は強烈に彼を欲していた。 彼の元へと逃げたところで、私の出す答えは変わらない。この先に待っている生活だって、変わらない。 それでも、私は彼に会う。 ほんの少しの遠回りをするために、彼に抱かれることを望むのだ。
貰ったネックレスを健介に付けてもらいながら、私の心は既に石場の部屋へと向かっている。 石場の腕の中へ、飛んでいるのだ。
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