■純恋愛
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第四章 To be or not to be-5
健介との食事を終え、軽く飲んだ後で、私は自分の部屋へ一人で戻ってきた。
今夜は、この部屋で健介と過ごし、明日一緒に通勤しようとも少し思ったが、今の私にそんな心の余裕はなかった。
健介も、私に無理強いをするような性格ではないし、私が一人で考えたいと言うと、笑って駅まで送ってくれた。

着ていたスーツを脱ぎ捨て、シャワーを浴び、パジャマ姿でベッドに転がる。
エアコンから吐き出される、生ぬるい乾いた風が私の頬をそっと撫でていった。
身体の芯がまだ冷えている。
浴槽に湯を張って、ゆっくりと湯船につかろうかとも思ったが、そこまでやる気力もなかった。
このままでは、寒くて眠れないと思い、私は台所の片隅に置かれたブランデーをグラスに注いだ。

ソファに座り、グラスのブランデーをちびちびと飲み始める。
この部屋に暮らし始めて二年。
何度もこうして、一人で酒を飲んだ。
週に何度か友人や恋人と会い、外でも酒を飲んだ。
私は、それほど酒が好きな方ではなかった。もしかすると、今でもそんなに好きではないのかもしれない。
だけど、酒がもたらしてくれる酔いが好きだった。
頭の奥がぼんやりとして、普段は口にできないことも、すらすらと言葉になって飛び出す。
さほど楽しくないことでも、大きな声で笑える。
そんな時間が欲しくて、ずっと酒を飲んでいたのかもしれない。
普段とは違う自分で、どこか遠い世界にいるような気分になれる。

ブランデーをもう一口飲み、私は携帯電話に手を伸ばす。

「今から電話してもいいですか?」

石場にメールを送ってみた。
すぐに携帯電話が鳴り、彼からの着信を告げるディスプレイが点滅する。
メールを見てすぐに、電話をしてくれたのだろう。

「もしもし?」
「悠ちゃん、どうしたの?今、一人?」
「うん。家に一人でいる。」
「今日、クリスマスイブなのに。彼は?一緒じゃないの?」
「一緒に食事して、さっき帰ってきたところなの。」
「そうかあ。どこも混んでたでしょ。」
「まあね。」
電話の向こうは、ざわざわと騒がしい。
今日、彼は忙しいのであろう。
彼の経営している店にも、たくさんのカップルがやってきたはずだ。
「私、年末に帰省するから、それまでに一度会いたいの。」
「うん。俺も悠ちゃんにクリスマスプレゼントを用意してるから、近いうちに会おうと思ってたんだ。」
笑いながら、彼が言った。
彼の声が、私の身体中に滲みこむように響き渡る。
その響きは、多少回り始めたブランデーの酔いと相まって、身体の奥を少し熱くした。
「悠ちゃん、いつなら都合がいいの?」
「うーん・・・。26日は、会社の忘年会があるし・・・。石場さんはいつがいいの?」
「じゃあ、27日に会おうよ。27日の夜に。」
「忙しくないの?」
「だって、年明けに悠ちゃんが帰ってくるまで会えなくなるんだろ?寂しいじゃない。時間空けるよ。」
「・・・ありがとう。」
彼は、軽い気持ちで言った言葉だろう。
だけど、今の私には本当に嬉しい言葉だった。
明日突然、私に会えなくなったとしても、彼の生活は何も変わらないし、彼の周りには私のような女がたくさんいるのだろう。
それでも、今の私にはタイムリミットがあるのだ。
どんな些細な甘い言葉も、優しさも、抱えきれないほど与えて欲しいと思った。
「じゃあ、27日、そっちへ迎えに行く前にメールか電話でもするよ。」
「わかった。待ってる。」
「じゃ、俺、また仕事に戻るからこれで。」
「うん。頑張ってね。」
「悠ちゃん、おやすみ。」
「おやすみなさい。」

電話を切って、私はソファにゆっくりともたれ掛かる。
10月の終わり頃に彼と初めて会って、まだたった2ヶ月だ。
何年もこんな風にしているような気もするし、そんなに時間が経っていないような感覚に陥ることもある。
初めて会ったときに感じた、胸を締め付けるようなときめきは、もう薄れていた。
だけど、以前よりずっと、私は彼を必要としている。
過去も未来もない、今のお互いの気持ちだけでつながっている関係。
こんな風に男と付き合ったことなんて、なかった。
「付き合って〜ヶ月だね。」「もうすぐ〜周年だね。」「来年の誕生日は〜に行こうね。」「来週は、〜をしようね。」
普通のカップルの間で交わされる、こんな会話は私たちには必要なかったのだ。
ただ、目の前の相手を愛しく感じれば抱き合い、相手の声や姿が恋しくなれば連絡をする。
私は彼に恋をしているのか。彼は、私に恋をしているのか。
初めて会ったときに感じたあのときめきや、デートの時に感じた高揚感をそう呼ぶのなら、きっと私は彼に恋をしているのだろう。
だけど、今私が感じているこの気持ちは、今までに「恋」だと思い続けていたものと明らかに違った。
だから、私は未だに自分が恋をしているのかどうか、はっきりとは分からない。
出会ったときに感じた恋の予感は、少しずつ形を変えて、今の自分の気持ちがある。
その手触りも、温度も、何もかもが曖昧で、自分の手ですら掴みきれない。
掴みかけたと思えば、するりとこの手をすり抜け、私はそれを捕まえようと夢中で追いかけるのだ。
あと三ヶ月も経てば、私はこの部屋を出て、見たこともない街へ行く。
そこで過ごす日々に疲れたとき、私はこの2ヶ月のことを思い出しては小さなため息をついたりするのだろう。
中学生や高校生の頃、母がアルバムを見せたがったことを思い出す。
私が赤ん坊の頃の写真や、父と結婚したばかりの頃の写真を、私に見せては思い出話を語るのだ。
それは、夕食の後であったり、夜眠る前のわずかな時間であったりした。
あんな風に、私は心の中のアルバムを一人でそっとめくるのか。
退屈な日常に埋もれて、息苦しくなった夜には、そうして思い出に浸るのだろうか。

明かりを消してベッドに入り、目をゆっくりと閉じる。
ブランデーの酔いが、私を眠りに誘う。
夢はいつか醒めるものなのだ。
分かってはいるのに、私はまだ諦めきれない。
夢を見ながら現実を生きるなんて、無理な話だ。
大丈夫。石場と出会う前の自分に戻るだけなのだから。
自分にそう言い聞かせても、それがはるか遠い昔のことのように思えて、余計に切なくなった。
記憶を辿り、その頃の自分を思い出そうとしても、酔いが邪魔をしてうまくいかない。
何度もそうして、今と過去とを行ったり来たりしているうちに、私は眠りの世界へと落ちていった。

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