一応、本当のクリスマスというのは、今日、25日であるはずだろう。 なのに、街のテンションは確実に昨日よりも冷め始めている。 私は、キーボードを叩く指を止めて、窓の向こうに視線を移す。 ほんの少し前に、新年を迎えたような気がするのに、もう1年は暮れていこうとしている。 コピー機の前で資料を抱えている真奈美に目を向けてみる。 一年前の今頃は、こんな気持ちで彼女を見つめる日が来るなんて、思ってもいなかった。 あの時、まだ彼女はただの同僚以外の何者でもなく、私の前でいつも笑っていた。
椅子に座ったまま身体を伸ばし、ゆっくりと首を回す。 全身に鉛のような重さを感じる。 そういえば、長い間エステに行っていないなと思い出す。 私の高校時代からの友人が、エステティシャンをやっているのだ。 お金に余裕があるときは、たまに通ってマッサージを受けたりもしていたのだが、最近は身辺にいろいろなことがあり、足が遠のいていた。 今日はクリスマスだし、自分へのプレゼントも兼ねて、彼女の施術を受けてみようかと思う。
携帯電話を掴み、そっと廊下へ出る。 携帯のメモリを操作して、友人、ナオの勤めるサロンの番号を探し出し、発信する。 数回のコールの後、美しい声の女性が、大手エステティックチェーンの名前を口にする。 「あ、私、小川と申しますが、上山さん・・・上山直美さんは、今日は出勤なさっておりますでしょうか。」 「上山ですね。おつなぎいたします。少々お待ちください。」 事務的な言葉の後、「エリーゼのために」が機械音で流れ始める。 主題を聞き終わり、リフレインしそうになったところで、ご無沙汰していた声が聞こえた。 「はーい。上山です。お待たせいたしました。」 「もしもし?ナオ?悠子です。」 「小川さんって、やっぱり悠子だったのね。久し振りじゃない。どうしたの?」 ナオは、特徴のある少し低い声で笑っている。 「今日、仕事終わったあとに、そっちに行こうかと思って。ナオのゴールドフィンガーで癒してよ。予約空いてる?」 「6時以降なら空いてるよ。」 「うん。6時半ごろには行けると思うから、予約入れといてよ。」 「うんうん。何?フェイス?」 「ううん。今日は全身やってもらうつもり。」 「うはー。どうしちゃったの。奮発するのねえ。新しい男でもできたの?」 ナオの声が、少し高くなる。 「そんなんじゃないわよ。1年の溜まった疲れを、ナオにほぐしてもらおうと思って。」 「何よ。そんなに疲れてんの?」 「まあね・・・。それに、色々積もる話もあるしさ。」 「クリスマスだってのに、私に会いに来てていいの?」 ナオの、少し呆れた声。 「こういうクリスマスもいいじゃない。仕事終わったあと、飲みながら少し話そうよ。」 「まあ、私は嬉しいけどね。久し振りに悠子に会えるんだから。」 「とりあえず、仕事終わったらすぐにそっちに行くわ。よろしくね。」 「うん。わかった。待ってるからね。」 「じゃ、あとでね。」 「気を付けて来てね。」
電話を切って、私はもう一度首をぐるりと回す。 最後にナオと話したのは、まだ夏の頃だった。 あれから半年も経っていないのに、ナオの声はとても懐かしくて、心のささくれ立った部分にちくちくと沁みた。 そんな些細なことで涙が出そうになっている自分に気付いて、私は少し深く息を吸い込む。 福岡に行けば、そう簡単にナオにも会うことはできなくなるのだろう。 普段は、頻繁に会うわけでもないくせに、そう考えると途端にナオが恋しくなった。 まっすぐに夢を追いかける、ナオのエネルギーが恋しい。 私は、携帯電話をポケットに納め、足早に事務所へ戻った。
仕事のあと、ナオの施術を受けながら、私はじっと目を閉じていた。 前に来たときよりも、ずっとうまくなっているマッサージを受けながら、私はなんとなく置いてけぼりを食ったような気分になる。 たった半年でも、ナオはこうして進歩し、日々夢に近づいているのだ。
同じ高校に通っていたナオは、その後大学に進学した。 しかし、美容に携わる仕事をしたいという夢を捨てられず、大学を中退して今の会社に入った。 将来、自分のサロンを持つという目的をしっかりと持っている。 高校を出て就職はしたものの、自分の行き先を決められずふらふらとしていた私は、そんなナオが眩しく見えて仕方なかった。 ナオの隣にいると、自分がとても小さな人間であることを思い知らされるようで、複雑な気持ちになったものだった。
「あんた、やっぱ身体固くなってんね。」 ナオが、私の身体をほぐしながら言った。 「あれこれ考えてると、この胸のとこの筋が固くなるよ。頭使うとね。」 「頭かあ・・・。使ってるようで使ってないけどね。」 私は、そう言って笑う。 「まあ、その辺りの話は後でゆーっくり聞かせてもらうわね。」 ナオが、私の顔を見ながら低い声で笑った。 「その、左手の薬指の指輪のことも聞かないといけないしね。」 ナオの特徴のある声を聞きながら、私はまたゆっくりと目を閉じる。 自分自身の話、ナオの話・・・あれこれ話したいことはたくさんあるけれど、今はとりあえず、ナオの技術を堪能しよう。 入社したばかりの頃、厳しい研修でおろおろしていたナオが、今こうして一人前のエステティシャンとなり、堂々とした振る舞いを見せていることが、少し誇らしかった。 高校時代、夢中で当時の彼氏の話をしている顔や、授業中にこっそり回ってきた手紙、学校帰りに二人で良くいった店のこと。 ナオとのいろんな時間を思い出しながら、私は束の間の眠りに付いていた。
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